〜スカーフ〜
「あれっ?・・・いだ!?」
押入れの上段から起きてきた硬いものは令の頭にクリティカルヒットして床に着陸した。
「なにぃ?」
半べそ状態でそれを探す。
それは教科書より一回り大きいハードカバーの本。その飛び立つ鳥を描いた表紙の本に令は見覚えがあった。
「あ、卒業アルバム。」
令は初夏の日曜日気まぐれで始めた大掃除の中でそれを見つけた。
懐かしい思いについつい掃除の手を止めて、その手はアルバムへ向かう。
パラ、パラとページをめくる度に、昔の事を思い出す。高校時代のそれは力にあふれ、ふっとため息が出るほどだった。
「みんな若いなぁ。ヤッ子の変顔おかしい!あっ、都だやっぱ美人ねぇ。」
自分のことは少し恥ずかしくて、少し頬が上がる。
「あはは!中西何やってんの!あ・・・・。」
また1ページめくって個人写真の1つが目に留まる。
咲・・・。
利発な顔立ちの女の子。クラスメイトの先の顔に視線が釘付けになる。
ヤッ子と都、私と咲は、仲良しグループだった。そして、咲との思い出は少し特別だった。
* * *
それは、高校三年生の10月だった。
* * *
私は咲の住む、川沿いのアパートに向かって走っていた。無心に走ってようやくたどり着いた先には、ヤッ子と都も居た。
そして、作業服を着た男の人もいた。
「咲!」
私は咲に駆け寄った。
「咲!お父さんとお母さんは!?」
川の向こう岸、遠く離れた所の空が赤く染まっていた。もう黄昏も過ぎた宵闇の中でその炎がより鮮明に見えた。
“咲の両親が勤めている工場が炎上した”
その知らせを受けたのが、もう一時間前になる。心配だったけど少し、行くべきか迷った。
大変なのに私なんかが行っても良いのか、と。
けど、私は咲の手を握った瞬間その思いは吹っ飛んだ。
どうして、もっと早く来なかったんだろう。
咲の手は、震えていた。冷たくなって。咲の声も震えていた。
「と・・・、父さんは、奥に残った母さんを助けに行って。それで・・・。」
あの工場は多くの石油を使用していた。
一度それに火がついてしまえば、どれだけ消化剤をかけようとも火に油。
もう、自然鎮火を待つしかないといわれている。
咲のお父さんとお母さんはもう・・。
「咲ちゃん。すまんなぁ・・・。わいがもうちょいはよう火に気付いとったら。2人は・・。」
作業着の男の人が言った。見るとその人もあちこち火傷の跡があって、煤けていた。
「大岩さんの、所為じゃないよ。ちがうよぉ。」
咲は私の方に顔をうずめて泣き出してしまった。
私はどうしたら良いか分らなくて、ただ、咲の背中に手を添えるだけだった。
視線の咲にはごうごうと燃える炎が見えていた。
「・・・咲。」
この子、これからどうなるんだろう。
「令。咲。部屋に入ろう。ここでこうしてても仕方ないよ。大岩さんはどうなさいますか?」
都が、言った。普段からしっかり者の気質なのだ。
顔は青ざめているが、特別うろたえてはいない様だった。
「うん・・・。咲部屋に入ろ。」
私は咲を促して、アパートの外階段へ向かった。
「わいは、また工場のほうへ戻るわ。また、なんかあったら知らせに来るけんね。」
それから後、自然鎮火で一応の事無きを得た工場炎上事件は流石に多くの死傷者を出し、その多くの中に、咲の両親も入っていた。
高校卒業をまでそう遠くは無いのに咲は、少し遠くの親戚の家へ引き取られる事になった。
咲は、卒業までこっちにいるのかと思いきや、向うの家にもそこまで余裕は無いらしく、頭の良い咲は、転入試験をクリアして向うの学校へ転入する事となった。
『仕方ないよ。お家賃が払えないんじゃあね。』
と咲は言った。そして
『こっちで卒業したかったな。』
とも、言った。
それで、私、都、ヤッ子はある行動に出た。
It‘s殴り込み。というやつである。
親戚はいま、咲の身の回りの整理をしにこっちへ来ていた。
私たちは、直談判するべく。咲のアパートへ向かったのだった。
「ごめんくださーい!」
都が、アパートのドアをノックすると咲の叔母さんが出てきた。
「あら、咲ちゃんのお友達?」
「はい、そうです。」
人の良さそうな笑みを浮かべるその人に私たちは意外な感じを覚えた。
咲を私たちから引き離すような真似をするから、ロッテンマイヤーさんのような人を連想したのだ。やはり、世の中どうしようもない事もあるらしい。
私たちは、丁重に招き入れられ、お茶まで出されていた。
「咲ちゃん、今出かけてるの。もうちょっとで帰ってくるから、待っててね。」
そう言って、席を立ちかける叔母さんを都が呼び止めた。
「いえ。今日は私達、咲の叔母さんに用があって来たんです。
咲を卒業までこっちに居させてはあげられないでしょうか?」
都は単刀直入に、しかも一気に用件を述べてしまった。
私とヤッ子はおろおろして都と叔母さんを交互に見た。
叔母さんは困った風に、再び席についた。
「わたしもそうしてあげたいんだけどね。うちだってそんな、余裕が無いのよ。
咲ちゃんの学費はまだしも、ここのお家賃は私たちには払えないの。
ごめんね。」
そういわれると、都も言う事がなくなってしまう。
俯いて、返す言葉がなくなってしまった。
しばらく、沈黙が続いた。
叔母さんが、再び席を立とうとしたとき口を開いたのはヤッ子だった。
「あの!・・・・あの、私達月のお小遣い五千円位です。
買いたいものもいっぱいあります。
でも!我慢します!だから、咲を卒業するまでここに置いてください。
それでも足りないなら、働きます!だから、お願いします。」
畳の床に額をつけて、ヤッ子は頭を下げた。
私たちもつられて頭を下げる。
正直以外だった。あのお調子者のヤッ子がこんな事をするなんて。
わたしも、ヤッ子に負けじと声を出した。
「どんなことでもします!お願いします!」
「みんな、何してるの?」
咲が帰ってきた。
私たちは頭を上げて咲のほうを見た。
表情からして、もう、大体の事情は飲み込めているようだった。
「咲がこっちに居られるように、叔母さんにお願いしてたの。」
お願いします!と私たちはもう一度頭を下げた。
「咲ちゃん。ちょっと座りなさい。」
叔母さんが咲に座るように促した。
「咲ちゃんがこの子達と協力して、お家賃の半分を負担できるならこっちに居ても良いわ。
ただし、卒業までね。」
わぁっ!と私たちは頭を上げて、抱き合って喜んだ。
叔母さんも私たちのしつこさに負けてしまったようだった。
それから、卒業まで私たちは受験勉強もしつつコンビニでアルバイトしたり、新聞配達をしたりしてなんとか家賃を稼いでいた。
そして、まもなく卒業を迎えたのだ。
私たちは急がしながらもアルバム委員に立候補した。
咲との最後の思い出だから、他人任せになんか出来なかったのだ。
表紙の絵は咲と都の超大作で、私とヤッ子はよりよい写真を求めて駆け回った。
出来は完璧で卒業式の後、配られたそれを大事に抱え、
私たちは『白線流し』の名所。大宮橋へと来ていた。
「それじゃあ、やりますか!」
ヤッ子はお調子者魂を発揮して、セーラー服の白いスカーフを外しせっせと四人分を繋げた。
それを四人で、風下。海の方へと向かって放した。
風も水嵩もよく、白線はするすると川を下っていった。
しばらくそれを見た後、私たちは咲の送別会をしにあのアパートへ向かったのであった。
* * *
私は、アルバムを閉じた。
もう一度、白線流しがしたくなって白いハンカチを持って家を出た。
大宮橋は昔と変わらず海に向かって風が吹いていた。
けど、私たちは変わった。
ヤッ子は東京へ出て、バリバリ仕事をしているらしい。
都はどこか田舎の農家へ嫁いで子供が二人居るらしい。
まえ咲から手紙が来た。
咲も結婚して今は幸せに暮らしているらしい。
私は橋の上から、ゆっくりと白いハンカチを流した。
ハンカチはあの日と同じ様にするすると海へと下っていった。
私はしばらくそれを見送ってから家路についた。
あのハンカチは、いつかあの白線に追いつくだろうか。
それとも、今の私たちのように違う道へ出るのだろうか。
そもそも、あの白線は今も一緒なのだろうか?
もしかしたら、それぞれ別の道へ行ったかもしれない。
結んだのがヤッ子だからそれもありえるなぁ。
Fin.