Morality,and contradiction
駅から徒歩5分。
都心部の住宅街にある洋風モダンな庭付き一戸建て。
医者になって七年。地位が伸び悩んでいた俺に部長は、いい出世話がある。と言った。
「が、なんでハウスキーパー?」まぁ、ここの主人は臓器移植系の第一人者だし。それなりに口利きしてくれるだろうけど。
俺は移植系含め技術系はあんまり専門じゃない。
微生物の培養なんかが得意だ。
もともと、人工臓器なんかの分野はそんなに好きじゃない。最近じゃあ、ドナーもいらない。試験管から臓器が生まれる。
俺はそれになんか抵抗がある。
まあ最近は、出生前診断・治療で解決できる。
「もう、2100年だもんな。」
優良思想だの言う奴らもいるけど、多くの夫婦の『お前も親になってみろ』の一言で一蹴された。
実際、問題はないのだ。
遺伝子改良をしまくった新人種を創った宗教団体があったが、新人種イヴは一切の生殖機能を持たなかったんだから。
優良を追究した結果、補いようの無い不良を生み出してしまった。
だから今はそれなりに折り合いを付けている。
話がそれた。部長の話では半年から出来るかぎりこの家のハウスキーパーをするらしい。
なんか、18の娘が一人で留守番をしていて、そいつちょっとした障害があって世話をしなきゃいけないらしい。
「そんなに酷いなら、入院すればいいのに。」
約束の時間は1時。もうそろそろ行くか。
俺は時間を潰すために入ったカフェから出た。
一戸建ての前はカフェなんだ。
インターホンを押した。応じたのは女でハウスキーパーの一人らしかった。
中に通された俺をハウスキーパーは何と無く複雑な目で見ていた。なんだ?
俺が通されたのは主人(中島先生というらしいが)の部屋で一人娘と一緒に俺を待っていた。
「はじめまして、横野君。確か、君臣君だったか?」
中島先生の印象は人好きするおじさんだった。横に居るのが娘か、別に見た目に不健康な感じはしない。
アンティークなのか、古いデザインのジーンズを履いている。シューズブランドのTシャツを着ていて、最近流行っているボブショートもよく合っている。
そもそも輪郭がシャープなのだこの子は。
っと、目が合ってしまった。ジロジロ見すぎたな。
でも、目が合っても無表情か。
まぁ、18の女の子がそんな初対面の男にヘラヘラしてる訳無いか。この子は箱入り娘だし。
「横野君。この子がお世話になる娘の葉羽だ。…横野君?」
「ッはい!?」
イカンッ、トリップしてた。
ハバネ。
ハバネロ?
「あ…、はい。それで葉羽さんは、身辺のお世話が必要とのことですが?えー、患部は?」
見た目は至って健康だし、知的障害、なのか?
実はね、中島先生は口を開いた。「この子は無脳障害なんだ。」
「はッ!?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
俺は今、あの娘と二人で部屋に取り残されていた。
中島先生は大きな移植手術があるらしく出勤してしまった。
無脳障害なんてものは基本的にありえない。
『脳がない』なんて人間として機能しない。
バッテリーとメモリーがない携帯電話なんてディスプレイ用の偽物だ。
それどころか人間はナマモノだ。脳が無いのは脳死体と同じ様に『主電源が切れている』状態だ。放って置けば死んでしまう。
なので先天性の無脳児が生き延びた試しはない。
中島先生の話が本当であるならばこの葉羽という子は世界初の人工脳で動いていることになる。
{君にやって欲しい事は身辺の世話じゃない。
この人工脳はデリケートで、各臓器、それに付く筋肉へ不随意での活動指示などをするものだが。
それ以外に媒体も兼ねているんだ。
だから毎日のメンテナンスは勿論だが、毎晩その日の記憶をデータとして取り出すんだ。君には、葉羽と一緒に行動して貰い夜に君の記憶と葉羽の記憶に誤差が無いか確認してもらいたい。頼んだよ。}
頼まれても、正直困る。
とりあえずマニュアルも有って、大概の把握は出来たけど…
問題はこの娘だろう。
「よ、よろしくね。葉羽さん。」
ずっと直立していた彼女は俺と目を合わせてきた。
「座っても、いい?」
Suwattemoii?
スワッテモイイ?
すわってもいい?
「あっ!はい。どうぞ。」
俺は椅子を引く。
彼女は自然な動作で腰掛けた。
じっ、と見てると彼女は僕を睨んだ。
「そんなにめずらしい?」
「え?」
この子は意外にも多感なのか?
「別に私。知的障害者でも人型ロボットでも無いから。」
そうだった。
人間だ。間違いなく。
「ごめん。」
謝ると彼女はすぐに許してくれた。
「いい。あなたは私の為にわざわざ来てくれたから。」
満面の笑みでそういうのを見ると。中島先生は本当に凄いと思った。完璧な人工脳だ。
「君、勉強とかはどうしてるの?」
「通信よ。学校には危ないから無理なんだって。」
彼女は盛大に顔をしかめた。
くるくると変わる表情。多彩な感情と発言。
人間のソレだ。
「えーっと、今日は何する予定なの?」
一緒に行動する身としてはある程度のことは把握しといた方が効率がいい。
「あなたが、いいなら本を読みたいんだけど。」
「…別にイイケド?」
ニッコリ笑うと彼女は本棚から2冊の本を取り出した。2冊とも同じ物だ。
よく見れば本棚には、2冊づつ同じ本が置いてある。
彼女は一冊を僕に渡した。
「え?僕も読むの?」
俺、読書は苦手なんだけど。
「そう。あなたも同じ物を読んで、アタシの記憶と内容に食い違いが無いかの確認をしてもらわないと、いけないからね。」
なるほど。
「前の人は、嫌がったの。細かいメンテやアタシの監視もしなきゃイケないのに、本まで読んでられるか。だって。
あの人スッゴい詰まんなかった。やたらヒステリックだし。話すことは出世したいとか。
だから話し合って漫画なら読んで良いってコトになったの。」
思い出したら止まらないらしくて彼女は息巻いて愚痴った。
「…まぁ、本でも読みなよ。」
この明らかなハイティーンの小娘相手に前任のがり勉は苦労しただろうな。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「まだァ?横野さん!!」
俺の正面に座って足をブラブラさせる彼女。
俺は少し急いでページをめくる。時刻は夜の7時。
俺は400ページのハードカバーを55時間で読み切る技能は持ち合わせて無い。
彼女は4時間半で読み切り俺を責っ付いてる。
「待ってよ。あと50ページ!」
彼女が解説とあとがきまで読む子だったら
確実に後2時間はかかっただろうな。
「っよし!終了。」
結局読み終わったのは、夜の八時。
今日の中島葉羽の夕食は
鰈の煮付け。
五穀米。
豆腐のみそ汁。
水菜のお浸し。
健康的だ、彼女の好みらしい。
「洋食とかは食べないの?」
俺はアメリカナイズな食生活で育ったので、はっきり言って物足りない。
「アタシあれ嫌い。食べたら吐く。」
極端だな。
「さっきの本も嫌い。」
極端だ。
「…俺的には面白かったけど?」
あくまで俺的。
「だって訳わかんないモン。」
確かに複雑だったかも、
しかしまあ、18なら理解出来ない事も無いと思うけどなぁ。
「あそこまで、親を憎むなんて有り得ない。ナンセンス〜。」
『ナンセンス〜』はどこぞの芸人が編み出したネタで今年の流行語候補だ。下らない。
「それに好きなのに嫌いトカっていうのも何?って感じ。」
確かに内容も濃い愛憎劇だった。
「いくら親でも、あれだけ酷い事されたら俺は憎むね。」
「親は憎まないでしょ?親だし。」
???
「な、んで。そう思うの?」
「知らない。」
Shiranai。
「それは君自身の意見?」
「さぁ?そういうプログラムなんじゃナイ?」
サァ?ソウイウプログラムナンジャナイ?
「…プログラム?」
人工脳には電子回路が組み込まれていて、基本的には電気仕掛けだ。完全自己発電で半永久的に動く事が可能だ。
『じゃあ、老人性認知症にはならないんですか?』
『それはこの子が歳を重ねてみないとわからない。』
俺の質問に中島先生は答える。何と無く。何と無く。俺は葉羽に不安を募らせた。
PROGRAM。結局それによってこの子は動いているのか?
「…――――――思う?」
えっ?
彼女の発した言葉がトランスしていた俺には聞き取れなかった。
「あなたも、私はおめでたいって思う?」
彼女は俺を睨んでいた。全力で。
「『あなたも』って前に誰かに言われたの?」
「前に居た世話役。」
あー、『あの』。
「あいつはあたしが『おめでたい』って言った。単純な感情と基本のプログラムで動く。コントローラー(人工脳)を入れられた不完全なモルモット。」
コントローラー………。でも主電源も代わらないか。
所詮、俺達はそんな観点でしかこの子を捉えられない。
しかし、それも仕方ないのかもしれない。確かに背徳的だし、人間としては不完全………。
!?
俺は葉羽の顔を見た。
揺るぎ無く俺を見詰める。
人間ってなんだ?
結局俺は何も理解出来てない。
「なぁ、葉羽。」
だけど、俺は今。この子に答えを示さなければいけない。
「俺は、まだ君がおめでたいかどうかなんて知らない。会ったばかりだからね。
だけど、不完全かどうかなんて誰にも解んない。
…と思うよ?」
最後が尻窄まりの俺を、葉羽は笑った。
「変なの。大人なのに。」
「仕方ないよ。俺は不完全だから。自分が完全なんて思ってる奴はそれだけで不完全だ、というのが俺の意見な訳で……。」
何が言いたかったんだっけ?
「ふーん。で?」
「えーっと、だから、君はちゃんと人間で、だからそんなののいう事を気にすることは無いんじゃない?」
悩み、気にして、それで答えを見つけたり、他人に答えを貰うのが人間。
決して自己完結なんて出来ない。だから個々の人間という存在は不完全なんだ。
そして、他人と関わる事で集団としての『人類』は完全と成るんじやないか?
まぁ、自信もないし口には出さないけど。
「でも、みんな複雑なココロを持ってるんでしょ?」
「でも、それは人それぞれ違うよ。君は集団生活をした事ないからわかんないかもしれないけど、みんな違うよ。気を使える奴もいれば、自分勝手な奴もいるし、君はちょっと単純かも知れないけど、それは個性だよ。好き嫌いを明確に決められるのも長所だし、それに……、あれ?何が言いたかったんだっけ?」
俺はつくづく不完全だ。
だけど
葉羽は笑っている。それでいいんだ。
俺は俺なりの答えを示せた。
「分かった。」
葉羽が言った。
「何が?」
「みんな何も解らないって事が、分かった。」
何と無く、俺達は笑った。
笑って笑って、何と無くそれで良いって思えた。
結局、葉羽という矛盾はそのままで。
道徳的な言葉で、現実を飴でくるんだだけだとしても、
それで良いって思えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ねぇ、葉羽ちゃん。」
「なーに?」
俺は少し時間を置いて現実的な提案をした。
「君、短期間でも良いから学校に行ってみれば?」
ただ単に、この子は世間知らずなのかも知れない。
「いーけど、また仕事増えるよ。横野さん。」
「……………。」
「…がんばります。」