『白昼堂々、往来で女子大生が刺されるという事件が起こりました。』
朝、テレビを点けたらアヤパンが淡々とニュースを読み上げていた。
私は耳を傾けつつ朝食を食べる。
『犯人は地元の高校生で、
誰でもいいから殺したかった、
と供述しています。』
こういう時、日本は腐ってると思う。
『被害者の白城友香さんは腹部を数回に渡って刺され出血多量の重体です。辺りは一時騒然としました。』
なんて事だ。

卓上の真っ赤な紅茶を見る。
せっかく煎れたローズヒップティーが飲みづらくなった。

〜赤い紅茶が好きな午後〜

人に借りはつくるもんじゃない。そんな教訓を舌で転がしながら、地下鉄の駅への道を歩く。
今日は講義の無い日ないのに。
何が悲しいのか、以前借りたタクシー代の方に友人の講義に出席することになってしまった。彼女はデートらしい。
すぐに返金すればよかったんだけど持ち合わせがなかった。
結構、苦学生とは言わせないなりの優雅なキャンパスライフを送っている私だが、それでも親元を離れているだけにそういうときもある。
「ローズヒップティーを買わなきゃよかった。」
たかが三百いくらのティーパックで左右されたような事ではないにしろ、あれはくだらない流行にほだされた計画性のない支出だった。
「結局、飲めなかったし。」
真っ赤な紅茶は仕方ないのでペットボトルに入り、私のかばんに納まっている。

今朝のアヤパンの声と、現場の映像が想起された。
それに以前読んだ小説の一文も。
『宗教のないこの国に、住む価値はあるのか』
とかそんなものだった。
確かに【チボー家の人々】とかを読むとキリスト教徒に憧れる。
特に【灰色のノート】―だったかな?―で父が息子のために神に祈るシーンは感涙ものだ。
たぶん無宗教であることは日本の腐敗の一端を担っている。
だからといって渡英する気は毛頭ない。
齢二一まで日本で暮らしていた私が今更クリスチャンになれるわけがないもの。
それにブータンとかチベット仏教も憧れる。生まれ変わりと因果応報を信じるところが。
「いーなー。」
通勤ラッシュを過ぎて人通りの少ない住宅街の道をスキップ気味に歩いていく。
相変わらず日本は腐ってるが、遠い異国に想いを馳せるとテンションは上がる。
口ずさむ歌は【アロハ・オエ】。無宗教丸出しだ。
「アロ〜ハオエ〜。アロ〜ハ・オエ〜。
アホイアヘア〜。また会う日まで〜。」以下エンドレス。
誰もいないと、たかを括っていた。
「あー、スミマセンが。
近くにコンビニはありませんか?」
突如、背後から話しかけられる。
近くを見ても私以外はいない。
仕方ない。覚悟を決めて振り返る。相手もノリノリでアロハ・オエを歌っているやつに話し掛けるには相当の覚悟が必要だったはずだ。
「あー、ないですよ。
残念ながらここからコンビニは徒歩二十分です。」
いらない補足説明までつけてやる。
意外なことに相手は黒人男性だった。
国籍云々は解らないが、モンゴロイドではなさそうだ。
スウェット姿だ。
「あー、困りました。」
外国ではスウェットで迷子になりそうな場所まで来るのだろうか?
「あー、どうかされたんですか?」
男は心底困った、進退窮まった、という様子だ。
よほど大事な用、もしくは緊急事態なのだろう。
「とても喉が渇いてるんです。」微妙な感動詞のやり取りは、間抜けにはっきりした台詞で終わった。
くだらない、もしかしたらヤバイ人なのかも。
でも宗教上の重要事項なのかもしれない。
そうだったら、私は外国人男性の敬謙な信仰心を目の当たりにしたことになる。
なにしろ、アロハ・オエ女に声をかけられるほどなのだ。
「どうしても必要なら紅茶でよければ手元にありますよ?」
まだ口は付けてない。ペットボトルも洗ってある。
「あー、よろしいんですか?」
まあ、普通たじろぐ。
アロハ・オエ女のマイ茶の安全性がいくらのものかは知らないが。一般人から与えられるものよりは危険だ。
「あー、口は付けてませんし、洗ってあります。ローズヒップティーです。」
ラベルなしの500ミリペットをかばんから出す。
「じゃあいただきます。」
黒人男性はそれを笑顔で受け取るとその場で一気に飲み干した。
ぷはあ、と良い飲みっぷりを見せた彼は私にペットボトルを返却する。
正直いらない。でも、まあ、ね?
「ありがとう。とてもおいしかったです。酸っぱいですね。」
外見に相反して流暢な日本語だ。
「あー、そうですか?それはよかった。
どうしてそんなに飲み物が必要だったんですか?」
何の宗教なんだろう?
「喉が渇いてしかたなかったんです。」
あちらは、和んだのか感動詞から卒業している。
はは、と笑って見せてくれるし。
「あー、はは。」
こっちも笑うしか無い。
「どうかされました?」
向こうは大きな黒目をくりくりさせている。
脱力感に襲われる。
別に他人の宗教事情で力む必要もそもそもなかったのだが。
「いえ、何か宗教的な事情でそんなに切羽詰まってるのかと思って。」
ハハハと笑ってごまかす。素直に言わなくてもよかったかな?
呆れられる、という予想に反して向こうは純粋に関心していた。
「そうですね。海外にはいろんな宗教がありますしね。」
意外と日本人のような解答だった。
「あなたの宗教はなんですか?」
失礼かな?と思った。下手な英文じみてるし。
「無宗教ですね、私。はというより必要がない。」
は?
「実は私。神様なんです。」
いたずらを告白したときみたいに声を潜める。

やっぱり、この人ヤバイ人なのかも。
霊感商売?普段みんなはこういうときに霊感商売なんかに遭遇するのか。
見たところ若い。留学生なのかな?
よっぽどお金に困ったのか、気の毒に。
聞かなかった事にしよう。
「そうですか、ではお気を付けて。じゃあ!」
さっさと退散しよう。
「白城優実さん。あなたは朝のテレビで報じられた傷害事件を気に留められていますね?
はじめは被害者の姓が同じだから気になっただけ。でもいかにも最近の事件で考えさせられる事が多い。
そんなこと思ってたでしょう?」
ストーカーか!気味が悪い。ここは変に逆らわない方がいい。
肉弾戦―っていうのか―になったら私が敵う訳がない。
「なんで、わかるんですか?」
「神様だからです。」
満面の笑みで言い切られた。
「へー、いろんな思想がありますものね?」
自己の神格化という新手の振興宗教なのかも。
教祖にされているのか?
「確かに世界には様々な宗教や思想が溢れていて大変住みにくい。」
勧誘トークか。
しかし振興宗教の思想というのも興味があった。
「何故です?」
彼は軽く笑う。
「私はただ人に神という名をつけられた創世主です。なのに人はいろんな思想・宗教の元にルールを作る。
私はそれに扮しなければならないので疲れます。ゼウスもオーディンもルールがあってやりづらい。」
乱暴な話だ。
「でも日本には確かな宗教がないでしょ?八百万の神の国だし。」
宗教が適当な国、日本。
「ええ。日本人は神に裁きを請わない。適当に要求をぶつけて、私はそれを適当に叶えておけばいい。
やりやすい国です。」
変な理屈だ。
「でも【バチがあたる】とかは?」
あれも神の裁きだろうに。
「でも信じてないでしょ?」
たしかにナマハゲくらいの攻撃力だ。
「そうですね。でも仮にですよ?
あなたが神様だとすると、あなたは日本が良いかも知れないけど。私は宗教が羨ましい。」
相手は首を傾げる。
「だって、生活の基盤に神様がいるってことは、近所にアンパンマンが住んでるようなものでしょ?」
向こうはワカラナイ顔をしている。
こっちだって解らなくなってきたわ。
「だから、常に悪いことをしたら裁かれる。良いことをしたら与えられる。迷えば救われる。
そんな絶対の保証の中で生きられるのは幸福だと思います。」
だからお前神ならがんばれよ。
とまでは言わない。
「わかりました。
俺神ダカラ頑張リマス。」
なんか最後だけ妙に片言だった。「やっぱり日本は良い国だ、バカンスに最高です。
またやる気が出せる。」
瞬きの後、男は忽然と消えていた。
「イリュージョン…。」
さすが振興宗教。

私は講義にギリギリ間に合い。
午後の講義は休講になって私は家に帰った。
まだどこかで勧誘活動に勤しんでいるのでは?
と辺りを見回すが見当たらなかった。

居間のテーブルには今朝入れたローズヒップティーの残りがあった。
カップに移し。口を付ける。
少しの酸味が舌に着いて飲みにくい。

でもその後、私は気に入って愛飲している。
一度だけ紛争の報道中継に彼が映り込んだ気がしたが、たぶん見間違いだろう。
だって、あの神様が私にしたことといえば、午後のティータイムを習慣づけた事くらいだ。


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あとがき
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しょうもないですね。
思い付きというのはろくなもんじゃない。
ただ白城優実の勿体振った物言いは楽しかったですね。