水晶宮
やがて、すっかり忘れ去られていたであろう三人が皆それぞれに硬直していた事に気づき、
またそれぞれに歯切れ悪く動き出した。
「クロエ。」
クロエは瓶の破片で怪我をしたらしく、血が流れる手を呆然と見ていた。
「クロエ!」
アトレインはもう一度、今度は強く呼びかけた。
「え・・・。」
クロエは、ゆっくりとアトレインの方を向いた。表情は絶望の色が満ちていた。
アトレインはこの時初めて、クロエの事を年端も行かない少女である事を思い出した。
気丈な振る舞いについ失念してしまっていた事だ。
「これから・・・、どう・・するんだ?」
クロエの視線は定まらない。
アキネの消えたあたりの空をただ見つめるだけ。
「どう、しよう・・・。私。どうしたらいい?」
アトレインは唯口をつぐむ事しかできない。
アトレインの横をエナが、つかつかと歩いて行きクロエの肩を揺さ振った。
「クロエ、しっかりして!」
エナはゆっくりと力強く言葉を紡ぐ。
「でも、・・・わたし・・・。」
「クロエ!あなたがやらなきゃ、誰も何も出来ない!
残酷かもしれないけどね、私たちにはどうにも出来ないの!あなたがしっかりしないと何も変えられないの・・・。」
エナの言葉にクロエの頬には涙が伝う。
エナの服をつかんでクロエが問う、その姿はまるで縋る様に見えた。
「私に、出来るかしら・・・。」
エナが微笑む、肩に置いていた手を頭において優しく撫でる。
「出来るわ、あなたはとっても強いもの。」
「やっぱり、エナには敵わない気がする。」
オーリィに耳打ちするアトレインの顔は安堵していた。
「昔から、人を励ましたりするのは得意だったな。」
顔を見合わせるのは、どっちが先だったか。
「取り合えず、王城に行った方がいいと思うの。」
気を取り直したクロエは森を抜けながら言った。
「王様に報告するのか?」
マーティン王は賢帝と言う噂だったが現在、病床に伏しているとも噂があった。
「ええ。国王は今アキネの新しい封印具の生成にかかっているの。
だから急いでもらおうと思って。」
早足で歩く足取りはしっかりとして、何となく歩幅も大きく・・・。
「お前・・・、デカクなってない?半端なく。」
アトレインの言うとおり、クロエは成長しているように見えた。
「あぁ、本当ね。」
クロエは今ではピッタリになった法衣のすそを摘み上げる。
襟元がずれているのに気がつき直した。
「どうして?というより、君って本当はいくつ?」
オーリィの目は点になっていた。
無理も無い話だ。今まで自分達よりはるかに小さいと思っていた少女が自分達と同じくらい、あるいはそれより上くらいに見えるのだから。
「えぇっと、私本当は十六歳なのよね。でも、十年前に森に縛り付けられた時に成長が止まっちゃって。アキネが魔法を解いた所為で一気に体が成長してるのね。これがあるべき姿って言うのかしら?」
何となく、つき物が落ちた気がするのはオーリィだけだろうか?
そして、オーリィは状況整理に少し時間をかけてから浮かんだ疑問を口にする。
「それって、いい事なの?」
クロエは少し返答に迷って、曖昧な答えを口に出す。
「多分、いい事なんじゃない?魔力も運動神経も上がるから、こんな事態には。」
「良い訳ないだろう。」
アトレインが苛つきを含んだ声で、話に割って入る。
「十年だ。人が、一人の人間が、十年分の時間をほんの数分で失った。
例え一六年生きていたとは言え、クロエの時間は何にも進んでない。
肉体だけの成長はただ器が朽ちているだけだ。成長なんて言わない。
お前だってわかってるから、そんな顔してるんだろ?」
オーリィはもう一度クロエの顔を見る、さっきつき物が落ちたように感じた表情と口調は、思い返すとただ淡々と感情を隠しているだけのように思えた。
「私、人間じゃなくウィッチだもの。そんなこと知らない。解らない。」
叱られた子供のように俯いて首を振る。そして、黙りこくった。
逃げ出すように速足で歩いていく。
これ以上、誰も、何も言わなかった。
ふと、クロエの足が止まった。
森の、出口だった。
「クロエ、どうしたの?」
エナが聞く。
オーリィもアトレインも気まずそうで、いまクロエに話し掛けられるのは一人だった。
「あ・・・、うん。」
俯くクロエの瞳は、森と町の境界線を凝視していた。
境界・・・、森がクロエの世界の全てだったから。
此処から先は、私とは違う世界。
『出ては、いけませんよ・・・。』
苦しそうに言った2人の表情。
「クロエ、もうあなたに魔法はかかってないんでしょ?」
エナが一歩森から出る、オーリィも、アトレインも・・・。
あとはクロエだけ・・・。
『待って!置いていかないで!・・・エクト』
「待って!」
伸ばした手が空を掻く。
声だけが3人も耳に入る。
「大丈夫よ、ちゃんと待ってるから。」
エナの微笑みは優しい、でもそれは多分いけない。
「そろそろ、ちゃんと説明しろよ。」
アトレインが言う、その瞳はクロエと正面から対峙して逃げる事を出来なくする。
「じゃないと、きちんと協力できないだろ?」
だけど、その厳しさがクロエに必要だから。
アトレインはやっぱり似ているのだ。
「えぇ。わかったわ、でも時間が無いもの。歩きながら説明する。」
そう言って、一歩踏み出した先は森の外だった。
もう、迷いは無い。
「私は悪魔の血をひいてるの。」
クロエからようやくその一言が出たのは城への道を半分過ぎてからだった。
彼女にとって最も重要な事であろうそれを話すには簡単なことではないのだろう。いろいろと考えてまとまった頃にはすでにそんな所まで来ていた。
確かに、それだけ重い話しではあった。
三人の顔が凍る。
「どういうこと?あいつらは、滅びたんじゃないの?」
オーリィの声には震えが混ざっていた。
「悪魔が滅びるなんてありえないわ。不死に近いほどの生命力よ。
だから、王族や力ある魔術師は次元を歪めてその中に悪魔を閉じ込め たのよ。でも、悪魔は人間より魔力が遥かに高いから時々歪を作って こっちに出てくるの。」
悪魔はこの世で一番邪悪な生物だ。人心惑わす事もたやすければ、乗り移る事も容易い。殺す事など、赤子の手を捻るようなものだと伝えられている。
「でも、クロエはウィッチだろ?」
アトレインでさえ、こんな事を予想だにもしていなかった。
「ウィッチはアンシーリーコートの邪気を人工的に抜いたものの総称 よ。」
そこまで言うと矛盾が生じた。
「そんなことが出来るんなら、悪魔は全部ウィッチになってるんじゃないのか?」
その意見にクロエは首を横に振る。
「ウィッチにしたところで普通のアンシ−リーコートならいざ知らず、悪魔はすぐに元に戻ってしまうのよ。アキネもあと少ししたら悪魔に戻るんじゃないかしら。」
このことを言うのはとても勇気が必要だった。もしかしたら、彼らは私から離れていくかもしれない。
「と言う事は・・・。」
アトレインが口を開くその声音はクロエと同じように緊張していた。
「お前も・・・、あと少しすれば。戻るのか・・・、悪魔に。」
「いいえ!・・・。」
間髪要れずに答えたあと、クロエは勢いを失う。
「いいえ・・・。私は半分人間だから、すぐには戻らないわ。」
半分人間それは、とても大きな衝撃だった。
悪魔に心を許す人間が、人間を対等に扱う悪魔がいると思えなかったから。
「どういうこと?」
エナは思考が付いて行かなくなっていた。さっきから衝撃続きだから。
「別に相容れたと言うわけではないわ。ただ、私の母親となる人間にア キネが乗り移っただけ、それで興味本位で父親と結婚して私が生まれ たわ。すぐに。アキネはばれてウィッチにされ母親は生命力を吸収さ れて、死んだの。それで、残った私は王に呼び出されてウィッチにな り元に戻らないように時間をとめてこの森に居たわ。
普通に生まれたなら、私は・・・。」
そう言い掛けてクロエは言葉をきる。
「なんでもないわ。」
これだけは、言ってはいけなかった。
「わかった。」
案外アトレインは突き詰めなかった。その事にクロエは驚く。
「うそ・・。」
絶対突き詰められると思っていた。
「なんだよ。お前の仮定未来なんて興味ない。それよりも、さっきすぐ には悪魔にならないって言ってたけど、時間を経たらなるのか?」
話がそれていた事を今になって気づく。
すっかり、心を許してぺらぺらとしゃべっていた自分にも。
「そうね。でも王城で措置をしてもらえれば大丈夫よ。
ここに来るのはウィッチに成った時以来ね。」
目の前には高く大きく王城が聳え立っていた。
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あとがき
主人公の成長を見守ります・・・。っト言うよりねぇ。
いきなり十歳年をとるとそん重大は致命的ですが重大はぴちぴち。(?)
じゃあ、そういうことで(待てぃ)